浦佐駅東口のシンボル、田中角栄先生の像

冬に撮ったものです。

逆光過ぎるにもほどがある。

雪国ならではで、角栄先生の像には屋根がついております。

向かいの風景

ホームセンターウラサは楽しいです♪

スーパーVでお酒を買うのも楽しいです。

左奥に八海山が写っています。

越後三山「八海山」「中ノ岳(この角度からだと見えない)」「駒ケ岳」に向かって、挨拶しているような角栄さんです。

ちょっと写真を明るくしてみました。すこし表情が見えるようになりました。

私が幼稚園の時に、上越新幹線浦佐駅が出来ました。

およそ、40年前です。幼稚園のみんなでホームまで行った写真が残っています。

浦佐駅の上に大きな風船が上がっていた事が記憶に残っています。

確かこの、大きな銀色の建造物は、時計だった記憶があります。形的にも時計っぽいですよね?

今は時計部分だったと思われる丸の部分が銀色の蓋をされているような感じです。

時計の修理が大変だったのでしょうか…

なんとなく切ない処理方法です。

田中角栄像台座に記された碑文

田中角栄先生は 大正七年五月四日新潟県刈羽郡二田村で父角次 母フメの第四子として生れ 幼少より神童と云われ聡明にして闊達な性格は大器の芽生えと衆目を集めた

昭和九年青雲の志を抱いて郷関を立ち 苦学勉強し業を興し 戦後の動乱期昭和二十二年 弱冠二十八歳にして衆議院議員に当選 爾来(以来)国政の中枢で郵政 大蔵 通産の各大臣を歴任 昭和四十七年五十四歳で自由民主党総裁 内閣総理大臣に就任して内政外交に画期的な政治を断行した 戦後途絶の悲運にあった日中国交回復を実現し 国際平和に大きく貢献するとともに日本列島改造論を提唱 均衡ある国土発展を基調として 豪雪対策を含む裏日本の開発振興を積極的に推進 東京と新潟間の高速交通開通等発展の基礎を築かれた功績は実に偉大である

依って昭和六十年三月十四日上越新幹線 同十月二日関越自動車道の歴史的開通を記念し 奥只見地域レク都市事業の早期実現を期して有志相集い 茲に田中角栄先生の銅像を建立し 不滅の功績と栄誉を称え悠久に威徳を顕彰する

この像が 世界の平和と国運の隆昌を希求し 永遠に魚沼郷 更には県土伸展の象徴となることを祈念する

寄附写 一二〇〇〇余名

昭和六十年十月吉日

田中角栄先生銅像建設期成会

制作 日本芸術院会員 富永直樹
題字 揮毫 衆議院議員 二階堂進
碑文揮毫 日展常務理事 廣津雲仙

「日本列島改造計画」など、あまりにも有名な偉人。

何冊か本を読みましたが、戦時中の中国での仕事の話などは豪快で面白いです。

頭がよくて行動力がブルトーザー級。

まさに、谷川岳を切り崩す勢いで、タイミングが合えば(?)本当にやってたかもしれないですよね…

浦佐駅に新幹線駅を作ってくれて有難うございます

大崎が出身であるわたくしは、浦佐駅を便利に使わせていただきました。

地元では「六日町」か「小出」に駅ができると思われていたそうですが、間をとったのか長岡と越後湯沢駅の距離的要素なのか「浦佐」になりました。

冬は陸の孤島となる越後に高速交通網で人と経済の流れを変えた

今でこそ、関東に行くのは簡単。日帰りで行けちゃいます。なんだったら関東に通勤で通っている人も出てくるほど。高速道路や新幹線がない時代であれば、県外に出ることも一生ない生活だったかもしれない。

まだ自然も豊かな南魚沼の地で、都会の人たちと大して変わらない経済活動ができるのは、改めて、田中角栄さんをはじめとする、当時の政治家であったり地元民や企業の働きかけのおかげです。

感謝の気持ちを持って、浦佐駅の田中角栄像を見つめたいと思います。