ここに、戊辰戦争の歴史を伝える石碑があります。
文字起こしをしてみますが、読みづらいところがあり、間違いが多いかと思います。
「〇」や「?」などは不明の箇所です。
ご指摘などはコメント欄にて教えていただけると嬉しいです。
※石碑と同じ位置で改行しています。
旌表碑 〇風謹書(?)
井口徳四郎ハ大崎村〇〇喜八ノ長男〇シテ幼少ヨリ染色業ニ
従事ス然レドモ性武ヲ好ミ気概アリ当時本村に寄寓セル浪士〇
種ニ就キテ剣ヲ學ブ偶々慶應戊辰閏四月東北鎮撫師先鋒浦佐普
光寺ニ屯スルヤ勤王ノ宿志鬱勃抑ヘ難〇深更(?)郷里ヲ脱シ通船法
度ノ魚野川を徒歩シ営門ニ至リ請フコト再三弾薬担夫ニ採用〇
ラル小出島攻撃ニハ地理ニ精通セルト行動ノ勇敢ナ〇ノ故〇〇
テ抜擢シテ薩州外城三番隊ノ戦列ニ編入セラレ越エテ五月榎峠
ニ於テ大ニ奮戦シ負傷スルモ屈セズ各地ニ轉(転)戦ス次デ長岡城攻
略ノ際ニ敵ヲ追撃シ古志郡下條村ニテ敵弾〇為メニ壮烈ナル戦
死ヲ遂グ時は六月七日享年二十五小千谷船岡山ニ葬ラル翌明治
二年生前ノ戦功ニヨリ薩州本営ヨリ御沙汰書並ニ招魂祭料ノ下
賜アリ同年六月二十九日ニハ更ニ靖国神社合祀ノ恩命ニ〇ス死
シテ余栄アリト謂ウベシ
惟(おも)フニ当時一匹夫ニシテ〇ニ順逆ヲ辨(わきま)ヘ猛然蹶(決)起官軍二加
武人ニ劣ラザルノ功ヲ奏シ王事ニ殉ス實ニ偉ナル哉噫々(ああ、ああ、)昭和七年四月
大崎村有志建之
別の方の石碑も文字起こしいたします。こちらも戊辰戦争に参戦した「井口徳四郎」さんの事が書かれています。明治新政府(薩摩藩)からの沙汰書のようです。
御沙汰書寫
越後魚沼郡大崎村
金百三十両 亡 徳四郎 家内へ
右者昨年北越賊徒征討ニ付弊藩外城三番隊へ相付致進軍数度の戦争ニ援群ノ致骨折殊に戦死ニ付為招魂祭料
右通被下之事
巳七月 薩州 本営
※誤字や、旧字体・新字体の差などございます。誤字は気が付いた方はコメント欄にて教えていただけると幸いです。順次直していきます。