ずっと来たかったけどイマイチ場所がわかってなかった
細い農道を通らないといけないのでちょっと行きづらいところです。
ありました!
上越線の線路沿いにきちんと整備されたところにありました。
緑が深くなってきて、天気もいいし、最高です!
何やら案内看板が…
「宇津野江戸海道」とあります。
「100メートル程 昔の江戸街道がそのままの形で現存しています」
そして右下には「越南17号(コシヒカリ)が試験栽培された圃場」との記載もあります。
かいどうは「海」の字を使っていますね。意味があるのでしょうか?
魚野川沿いだったので「海道」かな?
たしかに細くてまっすぐではなく趣のある道です。
石碑を観察しましょう!
「長束義司 謹書」とあります。
裏面には「石材寄贈 新潟砂利建設工業株式会社」とあります。
地元五日町の建設やさんですね。
石碑の上に玉砂利が置いてあるのが可愛い…
先人達の英断と集落農家の継承を讃えて
昭和二十九年(1954年)四月三十日、南魚沼郡大巻村大字宇津野新田字古川に、県農業試験場委託による原種決定現地試験の種まきが行われた。この越南十七号が後の全国一の高い評価を受ける魚沼コシヒカリである。
宇津野農業研究会の会員の手で、栽培管理および収穫調査の結果、十a当たり五百十五kgの収穫量と病害中被害も無い極めて優秀な成績を得た。翌年も継続実施五百三十七kgの成績を挙げている。
両年の成績結果から、奨励品種決定と採種圃設置を見、郡内各地の実証栽培に用いられ広まった。
以来、四十有余年。魚沼コシヒカリが地域に与えた恩恵は極めて大きい。
ここに先人の努力の遺業を讃え顕彰する。平成十年十一月吉日
宇津野新田区民一同
なるほど、そういう歴史があったのですね。
ただ美味しいということでなく、収穫量であったり、病気に強いものを作らないといけないのですからね。
宇津野農業研究会の努力のおかげで今の「魚沼コシヒカリ」ブランドが出来たわけですものね。
感慨深いものがあります。
今ではここから見える広大な面積の田んぼ、魚野川を超えて向こうの向こうまで、ほぼ「魚沼コシヒカリ」です。最近は新之助とかコシヒカリ以外の色々な品種を栽培している農家さんがいると思いますが、やっぱりコシヒカリの功績は大きいでしょう。日本中の食卓の幸せを作ったのですから☆
田植えが徐々に始まっています。
八海山が田植えの農家さんを見守っているように見えます。
いいところだなぁ。