※Googleマップの起点は隣の美容室になっています。

三国街道と清水街道の分かれ道

不思議な交差点なのですぐ「あそこだ!」とわかる人も多いのではないかと思います。
そう、ここは街道と街道が分かれる場所であり、交わる場所だったわけです。

追分」=街道の分岐点

現代では交通が発達しここの交通量は多くはありません。上田・滝谷方面、もしくは舞子方面へ行く場合に通ります。国道17号を利用する車が多い為、三国街道側もそう交通量は多くありません。
昔は多く人々が行きかったのではないでしょうか。どんな光景だったのかな?と思いを馳せることのできる場所です。

上田史談会 上田五十騎 上町追分の会

建立 平成十九年四月吉日  岳川書

揮毫された方の名前が読めず申し訳ございません。よく見かけるお名前なのですが。
「長川」でしょうか「岳川」でしょうか。失礼いたしました。

後日判明しました。失礼いたしました。岳川(田村岳川<ガクセン>)さんによる揮毫です。塩沢の方のようで、この辺りでは有名な書家さんです。

平成十九年に建てられているようです。上田史談会さんは大河ドラマ「天地人」の誘致に尽力されたので大河ドラマが決定し、建立したのかもしれません。(想像です)
ちなみに妻夫木君演じる直江兼続が主演の大河ドラマ「天地人」は2009年に放送されています。


とても素晴らしいドラマで毎週毎週オープニングテーマから正座して観ていました。
個人的な事ですが、仕事も忙しく精神も擦り減らしていた時代でした。天地人の最終回が終わった時には「1年間一緒に闘った」ような気がしました。「一年間ありがとう」と言いました。

田中美佐子さん演じる、与六(兼続の幼名)の母が「もみじのように(人(木・幹)に尽くす)生きなさい」という最終回の回顧シーンが脳裏に焼き付いています。

旧清水街道は関東への道

関東への道は湯沢町経由としか知らなかった子供時代。清水峠(清水街道)がかつて関東へ通ずる道であることを聞いてにわかに信じられなかった覚えがあります。

明治初期に国道にする予定でしたがとん挫し、三国街道(いまの湯沢町からの道)が主流になりました。

山国に長く住んでいても、山の向こうのことまでは思いが至らない事が多く、地図を見てはじめて「この山の向こうはもう群馬だ」「え?尾瀬ってこの位置?」などと感動するのです。

清水街道は完全に廃道で割と上級の登山者でないと群馬県へは抜けられないと思います。

すぐ隣に水準点。
水準点とは、「水準測量に用いる際に標高の基準となる点のこと」
難しい…

こんな形です。